FM-TOWNS小ネタ集

-1989年3月19日に名古屋の富士通プラザでFM TOWNSの説明会が開催された時の話-

 富士通のTOWNS開発部隊の人がTOWNSの紹介をして、質疑の時間になった際、どこかのおじさん(FM-16βのユーザーらしい)が「TOWNSが売れなくなったらFM-11系を切ったようなことにはならないのか?」と厳しい口調で質問しました。一瞬その場がシーンとなりました。
 そしたら、開発者の人が「私もその時11ユーザーで、今でも11を切ったのを怒ってます」と回答し、質問者と意気投合してました。

 開発者の人によると、システムCDに入っている英語の音声は開発者の知り合いの外人の息子さんとそのお姉さんに声を吹き込んでもらったそうな。
(その際、お姉さんのほうは機嫌が悪かったとのことで、声がちょっと暗くなっているようです)

 また、富士通では68000を使った試作機も作っていたそうです(が、もしその仕様で出てたらあっという間に潰れてたかもしれませんね)。

 しかし、確かこの説明会が実施されたのは発売してすぐあとぐらいだったのですが、発売と同時にTOWNSを買った自分は既にTOWNS持ってるのに参加してたわけですね。


-High-C貸し出し-
 TOWNS発売当初、ソフトが全然出てこず、またHigh-CやLucid-Cも掛け声だけで全然発売されませんでした。F-BASIC386は強力だったのですが、いかんせん標準装備ではないのでソフトを配布しても使えないユーザーが出てきてしまいます。
 そんなわけで、当時富士通はソフトが組めそうな人にHigh-C無料貸し出しをやってました。自分も欲しかったのですが、当時入ってたサークルKXCのUOTAさんに「でも、最低でもC言語でブロック崩し位は作れないとだめですよ」って言われて諦めました(そして、結局かなり後になって自分で買いました。そもそもこれって一般に発売されたのは相当後でしたよね)。結局それから勉強してC言語でバリバリプログラムが組めるようになった訳なので、出まかせで「C言語使えますっ!」って手を上げても良かったのかもしれませんね・・・。

 なお、大阪の富士通プラザでMS-Cをコピーしようとして富士通の人に大目玉を食らったのは自分です(そして、結局自分でFMR用のQuick-Cを買いました。MS-C高過ぎ・・・)。


-フリコレパーティーの話-

 1990年7月28日、フリーウェアコレクションの第2弾が完成した時、富士通が全国のフリーソフトの作者を東京に招待してパーティーが開かれました(FWC2完成記念パーティー:通称フリコレパーティー)。
(なお、当時自分が所属していたKXCの部隊は道に迷って全員が遅刻しました・・・。)
 パーティーとは言ってもパソコンおたくの集まりなので、なんか皆仲間うちで固まって全然会話が盛りあがりません。そこで、そのへんにいた人に話しかけてみたら、一言「酔ってますね」と冷たくあしらわれてしまいました。

 そこで、みんなが持ち寄ったプログラムの実演会みたいなのが始まって、我らがKXC代表のUOTA氏による高速擬似レイトレプログラムCRX-TOWNSや、お姉さんがアニメーションしながら「ハッスル!ゴーゴー!」と叫ぶやつとか、当時有名だったMMKというPC-88用の同人ソフトの画像を連続表示するやつとか色々と見ることができました。

 あと、当時TOWNS界(?)で有名だった人たちを生で見れて嬉しかったです。Oh!誌の常連の方々やハビタットのオラクル(管理者)のいとまり女史、あと彩華千尋さん(当時の大学の先輩にそっくりで驚きました)とお話ができたのは感激でした。

 でもこれ、旅費・ホテル代とも全て富士通持ちだったんですよね。いい時代でした・・・KXCのメンバーなんてほとんど関西から来ていたので旅費だけでも相当かかったと思うのですが(今調べたら自分の旅費だけで24,660円もかかってました)。

 あと、参加者の方で関係無いのにお父さんが無理やりホテルに付いてきて一緒に泊まっていたA○Iさん(Oh!FMにイラストを投稿されてた方)・・・大変だったでしょうね・・・。


-白鳥麗子事件-

 KXCの人に聞いた話なのですが、昔、NIFTYに白鳥麗子なるハンドルネームの人がいてちょっとした人気者だったそうです。そこで、「みんなで麗子ちゃんのためにオフ会を開こう!」ってことになって会を開いてみたんだそうです。
 そしたら、そのオフ会にやってきた本人はやぼったい男だったとか(しかも、その「妹」も実は「弟」だったとか・・・)。
 昔のログインでも似たような話がありましたね・・・。


-富士通の無謀な目標-

 「不治痛」などと揶揄されるようにF社はしばしば大変に無謀な目標や方針を繰り出してユーザーを困惑させてきたのですが、以下のものは明らかに無謀かと思われますのでここで紹介させていただきます・・・。

 ・MARTYの販売目標 → 100万台(実売4.5万台)
 ・TEO(Win95版)の販売目標 → 150万本(実売8000本)
 ・フィンフィンのぬいぐるみの売上目標 → 1億円(・・・・)

 まあ、MARTYなら達人王とかビングの移植ゲームやりたさに買う人もいそうですが、TEOの方は誰に売ろうとしてたのでしょうか・・・
 TEOの販売目標がどれぐらい無謀かというと、プレステのパラッパラッパーが145万本、80年代で最も売れたパソコンソフト「ザナドゥ」ですら40万本ですからね。
まあ、定価2万円近いソフトが150万本売れたら売り上げ300億円ってとこですか。

 それにしてもMARTYは要らないけどCAR MARTYは今でも欲しいですね。車の中で勉強もゲームも(カラオケも)できてしまう・・・。
 FMR-CARDも今でも欲しいですけどオークションには全然出てこないです。TOWNSにはICメモリカードドライブがあるのでFDDの無いこの機種でもデータのやりとりが可能なのですが。



富士通の黒歴史のひとつTOWNS MARTY。
10万円近い定価はやはり無謀でした・・・




このワガママなイルカモドキの御機嫌を取る忍耐ゲームTEO。
18,800円という定価は三国志を抜いてTOWNS史上最高の高さです(※)。
こんなのが150万本も売れたらウハウハですね・・・・

(※ただし「日本棋院の定石大辞典」(定価49,800円)には対局練習の
モードがあるので、これをゲームと考えると2番目)。



 そういえばうちの大学には教育用のFMRがたくさんあったのですが、それを使った講義は大人気でいつも競争率が高くて結局一度も受けられませんでした。運良くクラスの奴が当選した時は自分がF-BASIC86で華麗な課題プログラム(雨が降ってきて、それが終わると空に虹がかかるアニメーション)を組んであげて満点で通ってました(自分で受けたかったなあ・・・まあ、その分メシをおごってもらいましたが)

 付属中学校の技術の授業にはPC-98が20台ぐらいあって、「ハイパーキューブ」などという一太郎Officeのサブセット版みたいな(とってもつまんない)ソフトを使って授業が行われていました。
 その教室の端には富士通が寄付(?)したとおぼしきTOWNSが1台だけポツンと置いてありました。そこで、中学生たちの前でTOWNSを立ち上げてMusic PRO TOWNSで楽譜に音符を置いていくとどんどん演奏されるのを見せてあげました。パソコンってもっと面白いもんなんだぜ。

 ところで、当時用も無いのに某市の富士通プラザに通ってお姉さん達に質問を連発していた自分・・・今思うと何というオタクだったんだろう。お姉さん達もすげえヒマそうだったけど、変な学生に色々質問されるのはウザかっただろうな・・・



TOWNS情報集積所に戻る。

タイトルページに戻る。